読んだ - 「夜と霧」

「夜と霧」(V・E・フランクルみすず書房)

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~人生についてこのように私に教えてくれたのは、
  「夜と霧」が初めてでした~


精神医学者だった著者が、
ナチス収容所での経験を
深い思索と強い使命感の元に記録した一冊。
名著として名高いタイトルだけど、
今までこの本を読まなかったのは、一つには
ナチスユダヤアウシュヴィッツ」というキーワードに
なんとなく人を遠巻きにさせるものがあるからだと思う。

もちろん人によってはそうじゃないと思う。
でも私には、あのとき同盟国同士だった、という知識を基に、
ナチスの仕業と日本の戦争でのもろもろ及び敗戦は
紐で結ばれたようにつながっていて、
どちらも「考えた方がいいけどちょっとめんどうくさい」。

「夜と霧」の原題は「心理学者、強制収容所を体験する」で、
この「心理学者」は著者自身のことを指している。
書かれた出来事はほとんどがとても苦しく怖ろしいのに、
それを書く著者の視線は落ち着いて客観的だ。
精神医学者として、強制収容所での人々の反応を
記述し、解明しようという強い職業的意志がそうさせたと
思うけれど、結果的に出来事が悲惨であるにもかかわらず
悲惨なことが書かれているといった雰囲気は全くない。
それはつまり、

「その場にいたユダヤ人たちに同情して
 涙をながしたりしなくてもいい」
「ドイツやナチスを責めていない、
 ひいては遠回しにドイツと仲間だった日本が
 責められてるわけでもない」


娯楽映画で涙を流すのはかまわない、
フィクションだとわかっているから。
でもそれが実際にあった出来事だと思えば、
涙を流さ「ざるをえない」し、
そのことを聞いて何も感情が動かなければ
自分は冷たい人間なのではないかと思う。
ノンフィクションには感情の半強制による
無意識の義務感がついてくる時があって、
それが「めんどうくさい」という感覚を呼び起こすのだと思う。


ナチスのしたことは良くないことだった。
日本についても戦争はしない方が絶対に良かった、絶対に。

でも「夜と霧」はドイツとかナチスとか
日本とか軍部とか天皇とかを断罪する本ではなくて、
日本に生まれてその時すでに戦後30年ぐらい経ってて戦争の話はもちろんたくさん聞いたし習ったけど体験したことはなくて人並みよりもう少しヒダリ寄りだしまじめだと思うけどでもやっぱり戦争とかちょっとめんどうくさいよね、という生き物が(つまり私が)、ナチス強制収容所には入ったことが無いしこれからも入ることはおそらくほぼ無いだろうけどでも死ぬほどではなくても40年生きてきたら意外としんどいときもあったんだよね、失恋とか結婚できないとか、そりゃもちろんユダヤ人虐殺に比べたら塵みたいなことだけどでもやっぱりしんどかったして言うか生きてれば程度の差はあれしんどいことは絶対にあるし(これを読んでくれているたぶん本がわりと好きでちょっとまじめでときどき傷つくあなたにも)、そういう時生きる意味なんて大げさな言葉がぽっと浮かんできたり、まあありていに言うと「あーーー、なんで生きてんだろなーーー」みたいな。
そんな問いに「夜と霧」は答えの一つをくれます。

「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、
 むしろひたすら、生きることが私たちから
 なにを期待しているかが問題なのだ」
「わたしの心をさいなんでいたのは、(中略)
 このすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。(中略)
 抜け出せるかどうかに意味がある生など、
 その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、
 そんな生はもともと生きるに値しないのだから」

これは、徹頭徹尾、あなたのための本なのです。
ドイツとかユダヤとかアウシュヴィッツとか関係ない。
どうやって生きてったらいいんだろな、とか、
ちょっと悩みがある、とか、そんなんじゃなくても
少し何か今と違う考え方が知りたい、とか。
そういう時に絶対に助けになってくれる本。
人は必ず生きて死ぬ、その死ぬまでを、
どうやって受け止めながら生きていくのか、という本。
ああ、こう書くとまた難しそうになっちゃうね。

でも、ページ数も本文約160ページと短いし、
その気になれば2時間ほどで読めるので、
事前情報や見た目の硬さにしばられず
気軽に読んでほしい本です。
そして気軽に読み返してほしい本です、ちょっと悩んだ時とかに。
私もそうすると思います。